国吉美香
「ひめゆり学徒隊」として78年前の沖縄戦に19歳で動員され、戦後はひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)の館長を務めた本村つるさんが7日、老衰で死去した。97歳だった。通夜は9日午後3時、葬儀は10日午後5時から沖縄県浦添市前田2の15の1のサンレー中央紫雲閣で。喪主は長男昌一さん。
太平洋戦争末期の1945年、沖縄師範学校女子部在学中に、沖縄県立第一高等女学校の生徒らとともにひめゆり学徒隊に動員され、負傷兵の看護にあたった。軍と住民が入り乱れる中、学徒隊は沖縄本島南部に追い詰められ、生徒ら136人が亡くなった。
戦後は約35年間、小中学校で教師を務めた。退職後の84年、学徒として亡くなった友人らの遺品を展示する資料館開設に向けて本格的な活動を開始。元学徒の中心的人物として、壕(ごう)の中での調査や遺品整理を行った。89年に開設した資料館では、2002年から10年まで館長を務めた。退任後も証言活動を続けたほか、継承のために若い世代の職員の育成に力を注いだ。
同じくひめゆり学徒として動員された同窓生たちは8日、資料館を通じて本村さんをしのぶコメントを寄せた。
前館長でもある島袋淑子さん(95)は「優秀で全校生徒からの憧れの的でした。下級生にもとても親切で、全然威張ったりもしない性格の優しい人でした」と学生時代を振り返った。「資料館で一緒のときも、本村さんに聞けば何でもわかるというぐらい、みんなが信頼していました。大事な人を失って。とても心細くて悲しくて。元気でいらっしゃるときはいつでも聞けると思っていたのに、ほんとにいらっしゃらなくなったと思うと本当に悲しいです」とつづった。
仲里正子さん(95)も「本村さんは先輩だけど私たち下級生にも同僚として接してくれて、何でも言い合えた。感謝の気持ちでいっぱい」とし、「私たちとずっと一緒におられると思っていたし、まだまだ大丈夫だと思っていたので、とてもショックを受けている。資料館づくりの一番中心になってくれて、私たちの心の支えだった。悲しいけれど、安らかに眠られることを祈っている」と思いを寄せた。(国吉美香)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル